女性蔑視発言で、世界を騒がせている森喜朗さん。
第85、86代の元内閣総理大臣でもあり、現在は、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長を務めていらっしゃいます。
ラグビーワールドカップの日本誘致を成功させるなど、さまざまな功績を収めてこられたのも事実です。
森喜朗さんの家族について家系図とともにまとめてみました。
森喜朗プロフィール
名前:森喜朗(もりよしろう)
出身:石川県能美郡根上町(能美市)
生年月日:1937年7月14日(2021年で84歳)
身長:175㎝
体重:103㎏ →現在は85㎏
学歴:早稲田大学第二商学部
国会議員:石川2区より選出14回。在任期間は約43年間
所属政党:自由民主党
森さんは、NKヤンキースで大活躍をした元プロ野球選手の松井秀喜さんと同郷の石川県根上町(現在能美市)出身です。
根上町(ねあがり)は人口約16,000弱の小さな町で、ここから世界的有名な人が2人も出てきたのは、本当にすごいです。
森喜朗さんが生まれた1937年、祖父の森喜平さんが根上町の町長でした。
小さなころから、身近に政治家の姿を見てきたのですね。
森喜朗の家系図
家系図を詳しく見ていきましょう。
《祖父:森喜平(1875ー1969)》
庄屋を務めた旧家に生まれ、幼少時より俊才といわれていたそうです。
1917年~1928年の11年間、根上村村長を務めました。
《父:森茂喜(1910-1989)》
早稲田大学卒で、学生時代はラグビーの中心選手でした。
従軍中はラグビーボールを自作して部下や捕虜とラグビーしたというエピソードも。
1947年根上町議会議員に当選します。
その後根上町町長に9期連続当選しました。
《妻:千恵子》
早稲田大学で出会った森喜朗さんと結婚され、ファーストレディーも経験されています。
大学卒業の1年後に結婚されました。
当時、森喜朗さんは「日本工業新聞社」でサラリーマンで、1DKの団地で生活されていたそうです。
《弟:外科医》
どこで外科医をされているのか、全く情報はありませんでした。
《弟の娘(長女)の夫:岡田直樹(参議院議員)》
東京大学卒業後、北國新聞社に入社します。
ちなみに、岡田直樹さんの父が北國新聞社の元社長です。
つまり父親の会社に入社した、ということですね。
その後、石川県議会議員を経て参議院議員に当選。
現在は、内閣官房副長官です。
《長男:森祐喜》
2011年に47歳で亡くなった森祐喜さんには、黒い噂がつきまとっていました。
押尾事件にも関わっているという噂があります。
《長女:陽子》
青山学院大学卒業後、三井物産に就職。
大学時代の同級生である藤本真佐さんと1994年12月に結婚し、寿退社されました。
《長女の夫:藤本真佐》
森喜朗さんの長女である陽子さんと、恋愛の末、結婚されました。
実業家で、有名IT会社の社長も歴任されています。
森喜朗さんの妻は千恵子さん
森喜朗さんが妻の千恵子さんとは、2人が通っていた早稲田大学で出会いました。
最初に声をかけたのは森喜朗さんの方で、「お国はどちら?」だったそうです。
当時、千恵子さんは水泳をしていて日焼けで真っ黒だったので、東南アジアの留学生と勘違いしたのだとか。
1961年に結婚した森喜朗夫妻ですが、今もラブラブだというこんなエピソードが。
「夫のために死ねる」まで言い切るのはすごいですね。
妻の千恵子さんによると、森喜朗さんはかなりの潔癖症。
翌日に着る服を前日寝る前には、きちんと順番通りに枕元に置いて寝ているくらいの整頓好きだそうです。
森喜朗の息子・森祐喜は病死?
森喜朗の長男は、森祐喜(もりゆうき)さんです。
1964年10月15日に、石川県能美市根上で生まれ、2011年7月25日(享年46歳)に亡くなられました。
子供のころから親の森喜朗さんが政界にいたことから、幼少期より政治は身近なものであったようです。
名前:森祐喜(もりゆうき)
生年月日:1964年10月15日
学歴:1982年玉川学園高等部卒業
1987年に東海大学教養学部中退
前職:小松青年会議所理事長
森祐喜さんは生前、結婚をして子供が1人いらっしゃいます。
息子なのか娘なのか、情報はありませんでした。
地元では、にこやかで性格の良い奥様といわれていました。
元CAだとか、元議員秘書だったとか噂はありますが、はっきりとはわかりません。
しかし森祐喜さんの家庭内DVのせいで、離婚されています。
1990年 森喜朗衆議院議員私設秘書
2000年 森喜朗衆議院議員公設第一秘書
2006年 石川県議会議員当選
2010年8月7日 飲酒運転による事故で逮捕、議員を辞職
2010年10月31日 自宅で倒れ、心肺停止状態になり入院
2011年7月25日 急性膵炎による多臓器不全でのため、47歳で入院先で死去。
森祐喜さんは石川県議会議員時代、県議会の遅刻常習者だったのは有名な話。
また出張先には愛人同伴すると地元では噂になっていました。
素行が悪いのは有名で、そのせいか、黒い噂が絶えませんでした。
2010年、飲酒運転でコンビニに突っ込んだのは朝10時でした。
森祐喜さんが車から降りた時、足元がよろめいて、ろれつも回らない状態だったそうです。
でも現行犯逮捕されず、のちに任意同行 → 逮捕。
逮捕翌日には釈放されています。
このことから、「事件を握りつぶしたのでは」と噂になっていました。
2011年に多臓器不全で亡くなった時、家族のみの密葬でした。
元首相の長男なのに、密葬なのにはワケがあるのでは?ともいわれました。
森喜朗の娘は実業家と結婚!
森喜朗の長女は、藤本陽子さんと結婚された藤本真佐さん。
青山学院大学在学中にマーケティング会社を起業されます。
その後、IT関連会社で活躍されています。
・1999年 ツタヤオンラインを創業、社長就任
・2002年 デジタルハリウッドCEO兼社長就任
・2011年 株式会社Platform ID取締役
世界100か国を旅行し、ヨット・ハンティング・釣り・乗馬・映画が趣味だそうです。
かなりアクティブな方ですね。
2019年にはガンと診断され、舌と喉頭を全摘出されました。
現在は3級身体障がい者だそうです。
森喜朗の孫は?
森喜朗さんの娘、陽子さんには2021年で21歳になる娘さんがいます。
森喜朗さんからは孫娘になりますね。
東スポによると、森さんの批判発言によって、お孫さんが体調を崩したことを森さんが発言したことを報道しています。
ジェンダー発言で炎上した森さんも、孫娘には頭が上がらないようですね。
森さんの亡き息子さんにも、離婚はされましたが元妻との間にお子さんがいらっしゃるようです。
しかし、息子さんが亡くなる前に離婚をしていたこと、一般人であることから詳しい情報は公開されていません。
森喜朗さんにお孫さんは2人いらっしゃることになります。
森喜朗の親も政治家
森喜朗さんの父である森茂喜さんは、地元根上町の町長を何年も務められた政治家です。
森茂喜さんの写真は、残念ながら残っていないようです。
森茂喜さんは親ロシア派と呼ばれ、帝国陸軍左派のコアでした。
森茂喜さんの遺言により、墓(分骨)はロシア国内にあり、プーチン大統領が墓参するほど「ロシアの恩人」と讃えられているそうです。
そして祖父の森喜平さんも、地元根上村の村長を務められていました。
時代を感じさせる画像ですね。
元々森家は名家であったそうで、代々地元を治める政治家一家だったのです。
その影響を受けて、森喜朗さんは、先代が町長止まりだったから、自分は国会議員になる!と奮起して、ついには総理大臣にまで登り詰められました。
さすが総理大臣経験者、といえるような家系図ですね。
東京オリンピックもどうなっていくのか注目です。