田村正和の若い頃はイケメンでエピソードもあった!評判もすごい!

田村正和さんが、2021年4月3日に亡くなっていたことが報道されました。

若い頃からイケメンでありながら、三枚目も演じる演技の幅広さで人気でした。

田村正和さんの若い頃のイケメンエピソードについてまとめました。

 

田村正和の若い頃はイケメン

田村正和は若い頃からイケメン

 

若い頃から端正な顔立ちで、二枚目を地でいくイケメンだった田村正和さん。

プライベートは見せないというポリシーだったようで、役柄でのイメージしかありませんが、年齢を重ねてもダンディさがあふれていました。

 

田村正和さんといえば、古畑任三郎をイメージされる方が多いと思います。

古畑任三郎は和製「刑事コロンボ」ともいえるドラマで、田村正和さんの代表作です。

10年以上にわたって演じるという当たり役で、ドラマが終わってから15年以上経ちますが、いまだにモノマネする人も多いですよね。

 

時代劇から現代劇まで、バリバリの二枚目の役からコミカルな三枚目まで幅広い演技をされていました。

三枚目の中にも、イケメンは隠しきれず…という感じがしていました。

 

田村正和の若い頃のイケメンエピソードもあった!

田村正和は若い頃イケメン

 

田村正和さんは見た目だけではないイケメンエピソードがたくさんあります。

 

エピソード1)

田村正和さんは、ほとんどNGを出さない俳優として有名でした。

その理由がイケメンすぎるのですが、「同じセリフは二度といいたくない」からだそうです。

 

エピソード2)

『鳴門秘帖』の徳島ロケの際、地元のデパートでサイン会が開催されました。

サイン会にファンが殺到し、デパートの1階から6階まで階段に人が溢れたそうです。

あまりの人出のため、警察が見守る中でサイン会が行われました。

 

エピソード3)

ロケ現場には常に「田村チェア」と呼ばれる自前のデッキチェアを持参していました。

撮影の合間に共演者と楽しく話す、ということはほとんどなかったそうです。

本番前まで一人で椅子に座り、考え事をしていることも多かったのだとか。

役に入るルーティンだったのかもしれませんね。

 

田村正和は若い頃日本のアランドロンだった

 

エピソード4)

1960年代後半から1970年代にかけて「日本のアラン・ドロン」といわれていました。

画像をみると、そこまで似ているわけではありませんが、イケメン度はどちらも抜群。

1983年に「アラン・ドロンについてどう思うか」と聞かれ、インタビューに答えています。

 

田村正和

(アラン・ドロンの出演作である)「太陽がいっぱい」や「若者のすべて」の頃のドロンはギラギラしていていいと思うが、最近は日本で放送されているCMでしか見ないからわからない。

 

田村正和は若い頃イケメン

 

エピソード5)

田村正和さんは、若い頃は時代劇にも多く出演されています。

時代劇の殺陣が好きで、そこには田村正和流の考え方があったようです。

 

田村正和
リアルに考えれば、1本の刀で何人も立て続けに人を切れるわけはない。嘘でいいから見栄えがよく、夢があればいいと思う。

 

殺陣師の林邦史朗さんは、「鳴門秘帖」での田村正和さんの立ち回りについて、次のように評価されています。

 

林邦史朗
田村正和さんの体の線を活かした流動美と様式美に絞り、現代感覚にマッチしたスピードとリアルさをミックスしたものになっている

 

エピソード6)

田村正和さんの弟・田村亮さんは、兄・正和さんについて「まじめ過ぎる、テレビではプライベートな部分は見せない」といわれています。

田村正和さん自身もあまりプライベートを出さないようにしていたようです。

 

田村正和
せっかく俳優という職業にいるのに、俳優以外の色を付けてしまうのは役を演じる上で損であり、自分はそういうやり方が絶対嫌だ」

 

田村正和さんは、プライベートを見せることが演じる上でマイナスになるという考えだったようです。

プライベートで、他人の前では決して食事をしなかったというのも、俳優という仕事に徹底していたことがわかるイケメンエピソードですね。

 

田村正和の評判は?

 


俳優として人生を全力で駆け抜けた田村正和さん。

数々のイケメンエピソードから、その人柄も垣間見えたような気がします。

ご冥福をお祈りいたします。

 

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